NYに新装開店したアラビック・ナイトクラブ「The Nile」のオーディションを受けることになったカリーマ。ドキドキ、緊張の本番を迎えます。
NYに来て2年が過ぎた頃、私もクラスのみんなから認められるほどベリーダンスが上達してきて、ジハーンやサマーラの育ての親である今は亡きカリスマ振付師、バービー・ファラーのクラスにも通い始めました。そんなとき、エイトアベニューに「The Nile」というマンハッタン一番のアラビック・ナイトクラブがオープンしました。The Nileのメインショーはアラブ人客の集まる深夜12時すぎですが、その前に普通のアメリカ人や観光客相手に行われる9o'clock showのために、新しいダンサーを多数募集するというニュースが入ってきました。
私は最初まったく興味がなかったのですが、周りの多くの友人から「私も受けるんだからあなたも受けなさいよ」と声をかけられました。アメリカ人はチャレンジ精神が旺盛なので、まだ下のレベルの人もオーディションを受けると言っていました。私も「NYでダンスのオーディションを受けるなんて、もし落ちても話のタネになる」と思い、受けてみることにしたのです。
「The Nile」は一流ナイトクラブなので、すべてがライブ演奏です。客が少ないときでも5〜6人編成、メインショーでは約10人編成のバンドが入ります。ダンサーはバンド演奏に合わせてまずオープニング曲を10分ほど踊り、次に歌手が登場して客のリクエスト中心のショーが始まります。ダンサーはたとえその曲が初めて聞く曲でも、表情豊かに、歌詞の意味もすべてわかっているようなそぶりで踊らなければなりません。The Nileにかぎらず、NYではナイトクラブやキャバレーのダンサーは即興で踊れないと仕事をもらえないのです。
私はブルックリンのアトランティック・アベニューにあるアラブ人街へ出かけ、アラブのヒット曲のカセットテープを50本ほど買ってすべて覚えるまで聞きました。アルバイト先の常連のお客さんに、当日できるだけ応援に来てくれるようお願いし、当日を迎えたのです。オーディションはオープン後間もない、まだ客の少ないフロアーで行われました。日本人駐在員のおじさんたちがたくさん応援に来てくれ、高いワインを注文してくれました。客が少ないとはいえ、本物のステージで踊る緊張感。楽屋では、当時NYでナンバー1ベリーダンサーといわれていたシシャナがいろいろアドバイスをしてくれました。
いよいよオーディションが始まりました。次々にステージに上がっていくダンサーたち。でも下手なダンサーはほんの2〜3分しか踊らせてもらえません。始まるやいなやフィナーレになって、あっという間に終わってしまうのです。私もそんな目にあうのではないかと、とても不安でした。
ついに私の番、カリーマの名が呼ばれてステージに出ると、駐在員のおじさんたちがたくさんの拍手で迎えてくれました。私はとても緊張していましたが、あたたかい拍手によって安心し、楽しく踊ることができました。ステージが終わって楽屋に戻ると、シシャナが「よかったわよ」と誉めてくれました。
やがてオーナーのマダム・サミハがやってきて、「カリーマ、とてもよかったわ。2週間後から踊りなさい」と言ってくれたのです。客席のおじさんたちに合格の知らせをすると、各テーブルの人々が祝福してくれました。私は本当に幸せで、まさにNYに来て最高の日を迎えた思いでした。
私の合格の知らせを聞いて、ヨースリーは「サミハはジャパニーズ・マネーがほしいだけだ」と嫌味を言っていましたが、本心ではとても喜んでいたのだと、あとになって人づてに聞きました。それでもNYに来てプロダンサーとして仕事ができたのは、やはり当時、日本人ビジネスマンが海外で大活躍していたという状況と無関係ではなかったと思います。その意味で、私はたいへん幸運でした。